Thinging Time ~さあ、脳内をさらけ出そう~

私ってなに考えてるの?(笑)

深く愛すること。=深く傷つくこと。

先日、1年間の留学から帰ってきた。
帰国前は「あ〜本物のお寿司食べた〜い」「湯船浸かりた〜い」「日本快適やろな〜」とか思ってて、ホームシックというか「日本に期待!」って感じが強かった。

でもその一方で、大切な人たちとの別れがすごく辛くてどうしようもなかった。
特に、彼氏と言いつつ"パートナー"って表し方がしっくりくる、その彼との別れはもうウェンウェン(;_;)やった。( 笑 ) 帰国の1週間前なんか、気が付けば涙がポロポロって感じで。
たぶん安心させようと「本当に大切な存在だよ。もし君がドイツに帰って来れないことになったら、僕が日本に行って仕事探すから!」とかを言ってくれるけどそれを聞いてまた嬉しくてポロポロ、、みたいな。( 笑 )
「遠距離が不安で」という感情は一切なかったけど、とにかくしばらく会えなくなるのが寂しくて寂しくて、、

一緒に楽しくご飯作って食べて~
分からないドイツ語が出てきたらお互い教え合って、一緒に日々勉強して~
困ったときはいつもどんな時間でも飛んで来てくれて~
悩んだときは私が話すことに全部耳を傾けた上で適切なアドバイスもくれて~
不安や寂しさに襲われたときは、大丈夫だよって包み込んでくれて~
2人の間に問題が起きたら、いつも正直に話し合って解決して~

(*決して惚れけたいわけではない。笑)

(でもそろそろ割愛します。笑)



心から大切と思える人に出逢って、心から"幸せ"やなぁと思うけど、同時に、それを失うという"辛さ"も今、ズキズキと味わってる。

帰国して「母国や〜」「ボーッとしてても言葉が簡単に分かる〜」「日本食おいしい〜」って安心や嬉しさはあったけど、それよりもずっと、心がポッカリしてた。自分でもこんなにポッカリするとは思ってなかったし、意外やった。

毎日色んな新しいことを学んだ日々、色んな国の大切な友達たち、彼氏などなど、

それらから一気に離れて、心が追いついてなかった。急にワープした感じ。

留学中もこんな感覚になることがよく会った。もしかして自分はこの世に2人存在して、パラレルワールドの世界で、ドイツと日本の自分がいるのかな....って(笑)

多分、今までの常識とか周りの環境が急にガラッと変わって、脳がビックリしてた(笑)


話を戻して、、

帰国して、心がポッカリしてるそんな時に、ペットショップで何かシンパシーを感じるうさぎに出会って、すぐ飼うことになった。(小さいころからうさぎ大好き人間です。)

名前はミミちゃん。すごく人懐こくて、私のことをお母さんのように思ってくれてたし、私も自分の赤ちゃんのように思って、大きな愛情を注いでた。
思い出すとまた泣いてしまうからかなりアッサリ書くけど、ミミちゃんの体調が急に悪くなってしまって、病院にもかかって薬も飲ましたけど、体が弱かったのか赤ちゃんだからなのか、亡くなってしまった。家に来てからたった1週間だった。

悲しくて悲しくて、次の日は私は1日中泣いて食欲もなくて、本当に抜け殻のようになった。そして、大切な全てが一気に離れてしまったと感じて、表しようのない寂しさが襲ってきて、力が出なかった。というより、”生きる気力”を失くしかけてた。


ふと、「この先、大好きなおばあちゃんおじいちゃんや家族や親戚、たぶんほぼ全員が(家族の中で)私より先に亡くなってしまうんや」 って思って

「ムリ、そんな悲しいことにいちいち耐えれそうもない...そんな悲しみを乗り越えてまで生きる意味ってなんなんや。そうやって辛いことを必死に乗り越えて生きていったとしても、46億年の地球からしたらどうでも良いんやろうな。そんなことなら....」ってかなりネガティヴになった。初めて、生きることを諦めそうになった。ドン底ネガティヴ。

少し前なら、こんな時いつでも私のところに来てくれて、大きな胸の中に包んでくれる彼がいたのにな、、今はすぐには会えないのか、、って余計に辛かった。

 


深く愛せば愛すほど、それを失った時の辛さも深い。

そんなことを実感した最近やった。
「そんなことならもう、全てに対して浅くいった方が楽なのかもなぁ」って思ったりもしたけど、そんな生き方はやっぱりイヤや
失ったときに深く傷付くとしても、深く愛さない分からないことを私は知っていたいと思う。深く愛した時に感じる感情は、心の奥底が温かくて、その愛する対象を思い出しただけで、涙が出たりする。そして、会えない時期は、思い出の中でその人が生きてる。触れられる距離にいる誰かよりも、その思い出の方が心を満たしてくれる時もよくある。(一応...彼は元気に生きてます。笑)

LINEで毎日やりとりはしてるけど、それももちろん嬉しい時間やけど、思い出の中の”触れれる距離にいた時間”の方が案外、それが持つパワー存在感も強い。

 

 

抜け殻になってた日、ちょうどNHKのドキュメンタリー番組で「シリアの記録」みたいなものが放送されていた。今までは「あぁ、なんてかわいそうなんや...」という他人事のような気持ちで、テレビから流れてくるシリアの内戦状況などを観ていたと思う。でも、留学で仲良くなったシリア人たちのおかげで、彼らが暮らしていた世界を「別の世界」だとは思わなくなった。同じ人間で、私たちと何も変わらない、喜怒哀楽の同じ感情をもっていて、ただそこに突如として戦争が起こった。初めはただ、自分達の意見を主張していただけなのに、突然、”争い”に代わってしまった。

 

そんな思いもありながら、そのドキュメンタリー番組を観た。

ビクビクしながら、平和な日々を祈りながら必死し生き抜いている人たちの映像を観て、生きる気力がじわじわと湧いた。湧かざるをえなかった。

そして「まだ見たい世界も、会いたい人も、一緒に過ごしたい人も、行きたい場所も、伝えたいこともある。こんなところで終わるのはアカン!」って思って、どん底ネガティブから立ち直れた!

 

「生きたくても生きれない人がいるんやから」とか「生かせてもらってるんやから」って言葉をよく耳にするけど、本間にそう思った。力尽きるまで(出来れば”おばあさん”と分類される年齢になってから)愛して、楽しんで、時には傷ついたり、悩みながらも、この世界の一員として頑張りたいと思う!!

 


P.S.
私が愛して止まないRADWIMPSのある歌にこんな歌詞があるのです。
「どれだけ残せんだ、時間以外の単位で」
この歌詞をつくった野田洋次郎はやっぱり神だと思います。宗教とか全然興味ないけど、野田さんの発する言葉からは感じるものがめちゃくちゃあると思うのです。そして聞けば聞くほど、自分の経験値が上がるほど、歌詞の意味が分かってめっちゃ感動できる.....野田さんはどれだけ想像をめぐらして、それともどれだけの経験を持って、そういう歌詞を書いてるのだろう...

君の名は。」をきっかけにこれまで以上に色んな世代、国籍の人にRADWIMPSが聞いてもらえるようになって、ただただ嬉しい限りです。....って、関係者か(笑)